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2010-02-06 Sat
土曜日です。Doまん中モールのミーティングに出席した後、宮崎市民プラザへ。ひむかの砂浜ネットワークによる第2回の「宮崎の海岸シンポジウム」に出席します。
これは、住吉海岸の海岸浸食について、人工岬建設を国土交通省が企図したとき、サーファーを中心とした反対運動との意見交換の中で、このような形でのシンポジウムを続けていくという合意がなされ、それに基づいて実施されているものです。いまでも他所から砂を運んでくる「養浜」などを行っていますが、抜本的対策にはなっていません。
宮崎大学工学部の村上啓介准教授から講演があり、海岸が工作物によって変遷していく過程の説明があった後、「どのような海岸にしたいか、市民が考えていくことが重要ではないか。」
と述べていました。国の思い、県の思い、ネットワークの皆さんの思い、それをどう調整していくか、技術的な課題も含めまさに丁寧な説明が求められると思います。
その後、表具店の団体である「宮崎県表具経師内装組合連合会」の総会に出席します。
表具店も、建物の洋風化や収益確保の課題などもあり、後継者がいないところも少なくありません。しかし、このような"匠の技"の継承は不可欠だと私は思っています。いまはホームセンターなどで既製品が売っています。しかし、ふすまや障子の張り替え、畳の表替え、布団の打ち直しなど、一面では日本人が大事にしてきた技術であり、今のリサイクルの考え方とにも非常に整合性があるものだと思っています。
アドバイザーとして、今後もお手伝いしていくことになりましたので、また私としても積極的に取り組んでいきたいと思います。
さまざまな技術の中で、大きなやりがいを感じることのできた1日でした。
2010-02-05 Fri
金曜日です。元宮崎交通の副社長で現在名鉄不動産に勤務されている岩切道郎さんの肝いりで、愛知県半田市と日南市の観光協会が盟約を結ぶことになり、その懇親会にお声をかけて頂き伺わせて頂きました。
宮崎側はANA宮崎支店の岩満浩支店長をはじめ、宮崎日日新聞の経済部長、UMKの記者の方と私、半田市観光協会からは事務局長にあたる大番頭さんと副事務局長に当たる番頭さん他4名が参加されました。
半田市と日南市の共通項は運河があるということなのです。(小樽を含め3都市での運河サミットがあるとのことです。)
今後お互いの交流を図っていくというということになり、私自身も協力していきたいと思います。
さて、今日も4時過ぎに宮崎市役所の玄関に立ちました。
今日は4期16年宮崎市長を務めた津村重光宮崎市長の退任日です。市役所の前には多くの職員の方が出てこられます。
私もその中に混じって立っておりますと、津村市長が玄関から出てこられます。花束を受け取ら手、握手をされ、市役所の2F、3Fからも見守る多くの職員の方に高く手を振って、車で去っていかれました。
16年ということは、30代以下の職員はほとんどは津村市長しか知りませんし、幹部の皆さんも、津村市長就任のときはまだ係長クラスでした。同級生の市役所職員いわく「初めて”社長”が変わる。」といいます。まさに市役所にとっては、そんな気持ちなのでしょう。
16年前、私が初めて手伝った選挙が津村重光候補の選挙でした。あの初当選の時の熱気はいまでも鮮烈に覚えています。それから16年、宮崎市は中核市になり、国や県からの権限移譲などが進みました。
「躍動する太陽都市」というキャッチコピーでしたが、まさにそんな前に進んでいく時期だったと思います。
その反作用として、県とのある面での対立関係は一面ではやむを得ない部分もありました。
津村市長が去られて10分後、宮崎市役所の玄関は写真のようにがらんとし、静かな場所に戻りました。また月曜日の朝には、同じように新市長の出迎えがされることでしょう。
津村市政の評価は歴史に委ねるとして、津村市長には本当にお疲れさまでしたと申し上げたいですし、今後のご活躍をお祈りしたいと思います。
2010-02-04 Thu
木曜日です。午前中から事務所へ来客などがあり、対応していきます。
先日市役所に同行して対応させて頂いた方の生活保護が決定しまして、お礼の電話がありました。
私はあくまでもお手伝いしたにすぎないのですが、どう考えても生活できない方でしたので、本当にうれしいですし生活が安定されることを心から祈願しております。
その後、知り合いが「私の仲がいい大学の先生が地域自治区やコミュニティ税について、調査したいと宮崎市役所に話をしたのだが断られたので、何とかならないか」と相談を受けていましたので、宮崎市役所に行ってきました。
地域コミュニティ課に行って旧知の課長にお話を伺ったのですが、来週就任する戸敷正新市長が地域コミュニティ税の廃止を打ち出しているので、現在そのような視察や調査依頼はお断りしている、とのことでした。
確かに宮崎市においてはいわゆる「政権交代」が起きましたから、これはこれでやむを得ないと思いますし、ご依頼の方にはその旨をお伝えしました。
しかし、逆にいえば宮崎市の取り組みがそのように注目されていたことは事実です。地域コミュニティ税については、戸敷新市長の意向もあり廃止される運命にはあるかと思いますが、このような全国から視察が訪れるような先進的な行政を期待したいと思います。
さて、午後から「愛みやざき」の県政報告会のため延岡に向かいます。
先週の日向に続き、多くの皆さんにお越し頂きました。懇親会も開催したのですが、400人近い方にお越し頂き、本当に盛況でした。宮崎市での開催はどうしても経費の関係もあり、懇親会は開催していないのですが、今後は開催を考えてみたいと思います。
私の後援会長で延岡市で診療所を開院している榎本雄介さんが乾杯の音頭であいさつしたのですが、多くの延岡の皆様に可愛がって頂いている姿を見て安心いたしました。
夜中に延岡から10号線を戻りながら、一つひとつの時代に移ろい、それを感じながら過ごした1日でした。
2010-02-03 Wed
昨日に大阪まで出てきて、午前中の便で宮崎に帰ろうとします。しかしいつものようにいつものごとくJALの宮崎~大阪便が1時間半も遅延します。この宮崎~大阪線の遅延や欠航率は他の路線の倍以上あり、私もここ半年でこのようなことが3回目です。
経営が厳しいJALを応援したい思いもあり、使っていますが、そろそろ忍耐も厳しいな、と率直に思ってしまいます。
さて、宮崎空港から街に出ますと、スーパーに人だかりが出て屋根の上に人が・・・、「すわっ、飛び降りか?こんな多くの人で説得してるのだろうか。」と思っていますと、屋根の上から何事かばら撒かれ、下で多くの人が取り合っています。何のことはない、スーパーの節分イベントです。我ながら大いなる勘違いです。かくいう私も、私が檀家に入っている真言宗の寺で節分法要に参加します。
飛行機の遅延で護摩焚きには間に合わなかったのですが、節分の豆まきの大任を頂いて境内で豆まきをさせて頂きました。
その後、住職からお話があったのですが、真言宗は現世利益を祈る宗教です。現世利益といいますとなにか非常に俗っぽい感じがしますが、要は亡くなった人よりも今生きている人の健康や家内安全を祈ることを旨とするものです。
しかし、そもそも宗教とは私はそのようなものだと思うのです。いま生きる人が、一定のルールやモラルを持って生きる。来世や地獄なども、しっかり生きることはそれにつながるということであるのではないかと思っています。ですから宗教観とはモラルであり、だからこそ宗派は別として、しっかりした宗教観を持つことは私は重要だと思っています。
真言宗では「煩悩即菩薩」という言葉があります。煩悩を持っていてこそ悟りが開けるというものです。欲望の否定は自己否定になる、だからこそ欲望を抱えてこそ悟りが開けるというものです。節分など鬼という悩みや苦しみを追い払って、幸運を願うのですからまさにこの「煩悩即菩薩」の体現です。
政治の世界もそのようなものです。悩み、苦しみます。なぜか、もし選挙が生涯ないなら、こんなに気楽なことはありません。本当に気の赴くままに行動すればよいのです。
しかし、私たちは4年に1度その洗礼を受けます。思い切った行動や発言のとき、そのことが頭をよぎらないかといえば嘘です。ときには悩み苦しむときもあります。しかし、それがあればこそ、県民の皆様の思い、気持ちを常に確認しながら進むこともできます。
つまり、私たちも常に「煩悩即菩薩」という中にあるのだと思います。ありのままの自分を認めながら、その中で皆様のお役にどう立てるのか、そう思いますと少し肩の張りも取れます。
そんな思いでこれからも取り組んでいきたい、改めてそう感じた節分の1日でした。
2010-02-02 Tue
火曜日です。引き続き新潟です。
今日は新潟県議会のコーディネートで研修です。
まず新潟県の知事政策局国際課拉致問題調査室室長にお越し頂き、横田めぐみさんの拉致事件について説明を受け、そして拉致された当時の道のりを歩きます。実際に歩いてみますと、中学校を出て最後の友達と別れた現場から横田さんの自宅のあった場所まではほんの200m程度、本の至近距離だったことが分かります。
振り返ってみますと日本海が見える場所で、そのまま至近の海浜から北朝鮮に拉致されたとのことです。
現在、このような調査室まで設置しているのは新潟県だけだということです。室長は民主党政権になり、また新たな展開を期待しているとのことでしたが、このような状況もあり、前途はまだまだ多難です。宮崎県も青島海岸や一ッ瀬川河口での拉致問題もありましたから、他人事ではありません。佐土原の友人などは「スーツ姿の二人の男に石崎浜で追いかけられたことがある。」と話していました。県議会でも意見書を提出していますが、政権交代で動きがあるか、注目していきたいと思います。
そして全国唯一の県立の醸造施設である新潟県醸造試験場を訪問します。ここでは酒造組合と協力して「越淡麗」という酒米新品種を開発しています。「酒どころ」らしい取り組みで、この試験場自体にも酒造免許があります。以前は「縣(あがた・県の旧字)の光」という銘柄の清酒を作っていたとのことです。販売していたのか尋ねますと、「以前は中央官庁への"おみやげ"に・・・」ということでした。
一つの時代だったのだな、と感じます。
それはともかく、地場産業である日本酒をこのように長い視点で守る姿勢は重要です。例えば焼酎について、宮崎県は鹿児島県の3分の2以上と拮抗したシェアを持ちながら、焼酎=鹿児島というイメージが全国的には強くあります。私は農業大学校か都城市あたりと協力して南九州大学などで焼酎についての人材を育てるなどできないか、と思っています。佐賀県の窯業大学校のようなイメージなのですが、そのヒントも感じることができました。
その後全体は解散となりまして、私は新潟に住む大学院時代の友人につきあってもらって一路、新潟県いちばん北、下越の村上市に向かいます。
ここは、鮭の遡上する三面(みおもて)川の街なのですが、鮭の文化の息づく街で、資料館や鮭のふ化場などを見て回ります。
文化は人と人とのかかわりです。延岡などは鮎やななどありますが、なかなかそれが文化として根付いているのか、といいますとなかなか宮崎市にいても感じにくいものです。村上はそれをしっかり活かし地域資源にしています。そもそも文化的地盤に乏しい本県ですが、当然どの時代にも人は生きていたのであり、その文化をしっかり見直すことで、またいまの時代に活かせるものもあると思っています。
短い間の新潟でしたが、得るものも多く充実した2日間でした。
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